20200101

副住職の唯真です。

『親鸞聖人門侶交名牒』という、
親鸞聖人の門弟を系図のように
まとめた史料があります。

当山とはまったく関係のないものですが、
唯善上人や常敬寺(当時は西光院)に関する
記述がみえます。

その中で、寺族としてずっと違和感を
覚えていた、「これは違う」という箇所が
あります。
ですので、今回はそうした点について
考えてみたいと思います。

まず最初に、当山の法脈の流れを
簡単に記させて頂きます。

第一世として唯善上人。
そして第二世に善秀上人。
(唯善上人の娘、照雲尼公の夫)
第三世には善了上人(善秀上人と
照雲尼公の息子)が就きます。

当山の法脈はこのように
唯善上人から継がれていきます。

さて、『親鸞聖人門侶交名牒』には
複数の写本があり、それぞれに
微妙な違いがみられます。

その中のひとつ、京都光薗院写本には
唯善上人の次の当山住職として、
「(唯善の)ソノアトマコニ善宗」と
記されています。

これは「その跡、孫に(の)善宗」と
受け止めればいいのでしょうか。
「孫の善宗がその跡を継いだ」と。
(「善宗」は「善秀」の音だけ拾って
表記したものでしょうか)

「その、後孫(アトマゴ)に善宗」と
解釈する論文等がみえますが、
遠孫という単語はあっても、
「後孫」(あとまご)という言葉は
無いと思います。(一通り調べましたが、
そのような表現は見当たらず)

ひ孫や玄孫という言葉もあり、
必要ならそうした言葉を使うはずです。

そうではなく、単純に「孫」のことを
言いたいとしたら孫だけでよく、
それを後孫と書くのは、孫自体が既に
「後の世代」ということを指す単語なので
意味が重複してしまい、文章としても
変だと感じます。
ですので、『親鸞聖人門侶交名牒』の
記述を「後孫」と読むのは間違いだと
思います。

そしてなにより私が疑問に思うのは、
そもそも「孫」・「善宗」(善秀)
という組み合わせが当山の系図に
ないということです。

考えられることは大きく二つあります。

まず一つ目として、
系図を書いた場合、
「唯善(西光院第一世)ー照雲(娘)
ー善秀(西光院第二世)」
とも書け、こうなると善秀が三番目に来るので
外部の人間が「孫」と勘違いした可能性です。

二番目に考えられることは、
「マコ」が誤字であるということです。

私はこれは「マコ」ではなく、
「ムコ」と書きたかったと捉えます。

「孫」(マゴ)ではなく、
「迎子/婿」(ムコ)です。

「ソノアトムコニ善秀」と。

当山の第二世、つまり唯善上人の
跡を継いだのは、「唯善上人の娘の夫」
である「善秀上人」です。

善秀上人は、唯善上人からみて
「娘婿」になります。

当時は筆記における濁点の使用が
まだ普及していないこともあり、
「ムコ」を「マコ」と写し間違えたか、
聞き間違えたのではないでしょうか。

『親鸞聖人門侶交名牒』では、
「唯善上人のそのあと」のことに
ついて記そうとしているわけで、
となると系図をもとにして考えると、
当山第二世の善秀上人のことを
書こうとしているとみえ、
「その跡は、婿の善秀上人が継いだ」
と読むのが「ソノアトマコニ善宗」の
解釈に一番適しているのではないかと
考えます。

また、そもそも孫と婿(義理の息子)
では世代が一世代離れます。
となると唯善上人からすると孫は
二世代異なるわけで、一世代30年
としても60年離れることになり、
『親鸞聖人門侶交名牒』が書かれた
年代等々も合わなくなるとも思え、
唯善上人の跡を継いだのが孫世代
となる・表すのは、おかしいと思います。

もう一方で考えられるのは、
「善宗」が誤記であるという見方です。

「唯善のその次の住職」ではなく、
「唯善の孫」のことを伝えたかった場合です。

この場合、唯善上人の孫は当山第三世の
「善了上人」になりますので、
その善了上人の立場を示す記述として
「ソノアトマコニ善了」、「その後の孫の善了」
と記したかったのかもしれません。
ただ、突然唯善の孫について書く意図が不明で、
年代的な疑問もやはりあり、なにより日本語
として不自然、歯切れが悪い文章になると
思いますので、
私は「ソノアトマコニ善宗」は、孫について
言及したかった文章ではなく、
「跡を継いだ善秀上人は婿だ」ということを
記そうとしたのだと考えています。

たとえば、対立した覚如上人とは違うんだ
というようなこと、つまり唯善上人の
跡継は実子ではなく
「ムコ(婿)」が継いだということに、
その主張の重点を置きたかったのでは
ないでしょうか。

『親鸞聖人門侶交名牒』は、
純粋な相関図ではなく、
政治的・宗教的に「どの系図が正統か」
ということを訴えるという明確な目的を
持った、非常に偏りが色濃いプロパガンダ
です。
それゆえ、丁寧に読んでいく必要が
あろうかとは思います。

合掌