副住職の唯真です。

個人的な趣味として、私は仏像やお寺を
見るのが好きなのですが、常敬寺がある
上越市高田寺町にも歴史を持った多くの
お寺が堂宇を構えています。

それを何も書き残さないというのも
自分の中で残念な気がしましたので、
寺町のお寺を私の主観になりますが
紹介する記事を作ろうと思い立ちました。

第一回目として、当山のお隣にございます
「歓喜踊躍山 浄興寺」さまを散歩して
きました。

新潟を代表する名刹の一つです。

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「浄興寺」の開基は親鸞聖人です。
親鸞聖人が東国(関東)において活動の拠点
とした「稲田の草庵」が浄興寺のルーツに
なります。
稲田の草庵といえば、親鸞聖人が『教行信証』を
書き上げた場所として知られています。

その『教行信証』が完成した歓びから
聖人は稲田の草庵を「歓喜踊躍山
浄土真宗興行寺」と改めました。
「浄興寺」はこれを略称したものです。

聖人が京都に戻られる際に、浄興寺を
直弟子(直弟)の善性に託しました。

浄興寺はその後も長らく稲田にありました
が、兵火に遭い堂宇を焼失します。

そのため第4世専海の時代に常陸国板敷山
へ、そしてさらに同国の磯辺村へと寺基を
移動させます。

浄興寺が稲田から移ると、跡地に
「西念寺」が建ちました。
(田中正『よも山集め話 越後
高田の寺町』北越出版 p.393)

また、西念寺さまにも浄興寺さまの
ように親鸞聖人の御骨を納めた廟が
ありますが、その中身は空であった
そうです。

梅原猛氏が西念寺の稲田実乗住職
からお話を聞かせて頂いたという
なかで、
【本寺には聖人の顱頂骨(ろちょうこつ)
を納めた御廟もありますが、その中は、
実際はお骨がなく空洞だったそうです。
砂だけしかなかったとか。】
梅原猛『親鸞「四つの謎」を解く』
新潮文庫 312p
という会話がありまして、

こうした事実から考えますと、
恐らく稲田時代の浄興寺が兵火に
遭ったとき、御骨は間一髪のところで
持ち出され、寺基を移した浄興寺に
そのまますべて引き継ぐことが
できたのでしょう。

そして文永4年(1267)、以前より鎌倉幕府
から寄進されて寺領となっていた信州長沼の
土地にお寺を移しました。

こうして第4世から第14世了世までの
10代の間約300年、信州長沼の地に住しました。

浄興寺の歴史は本願寺よりも古く、
また善性によって安置された親鸞聖人の御骨が
ありました。
そういった関係もあり、長沼時代の浄興寺には
本願寺蓮如上人も親鸞聖人の頂骨を参拝しに
訪れました。

しかし永禄4年(1561)、第4回川中島合戦
のときに長沼の浄興寺は再び兵火によって
堂宇を焼失します。さらに13世周円が戦い
の犠牲となります。
その後、安茂里(あもり)の小市村(現在の
長野市)に「中坊」と呼んだ避難所を設け、
寺宝等を安置させました。

そして上杉謙信の後援を受け、第14世了性が
高井郡別府(現在の須坂市)に浄興寺を再建
し、永禄10年(1567)に謙信の招請により
越後国の春日山(現在の上越市)に移りました。

慶長12年(1607)に福島城下、高田藩開府の時
に須賀町裏に移動し、寛文5年(1665)の高田
地震後の区画整理に伴い、現在の寺町2丁目に
寺基を移しました。

尚、江戸時代より柏崎には浄興寺別院が
あります。

(参考文献:
田中正『よも山集め話 越後高田の寺町』
北越出版
田中正『越後高田 親藩城下の寺町寺』
北越出版)

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延宝6年(1678)頃に建てられた浄興寺本堂は、
新潟県内の浄土真宗寺院の中で最大の規模で、
最古のものです。

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境内には1つの花に8の実を結ぶという
「八房の梅」もあります。
(奥に見えるのは太子堂です)

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浄興寺宝物殿。
(500円で拝観できます。内部は撮影禁止です)

現在西本願寺、東本願寺、興正寺にある
親鸞聖人の御骨は、ここ浄興寺からそれぞれ
分骨されたものです。

宝物殿にはその時の分骨のお礼状も展示
されています。
(私が行った時はちょうど展示物入れ替えの
タイミングで見る事はできませんでした)

個人的に一番心が奪われたのが
「聖徳太子立像」です。
稲田の草庵で親鸞聖人が本尊として拝んで
いた太子孝養像で、長い間浄興寺の本尊で
あった立像です。

これは是非一度観て頂きたいです。

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浄興寺の親鸞聖人本廟には親鸞聖人の御骨、
そして本願寺の歴代門主の御骨も
この廟に収められています。

浄興寺は長らく大谷派(お東)の中本山として
重要な地位にありましたが、
現在は浄興寺派本山として堂宇を構えます。

高田駅からも近く(800メートル程)、
アクセスも容易だと思いますので
是非高田に来られた際はご参拝される
とよいかと思います。

そして、浄興寺さまの山門を前にして
左に進むと当山常敬寺もありますので、
どうぞ、お待ちしております!

また、江戸時代は本誓寺・浄興寺・常敬寺
は「三ヵ寺」と称し、行動を共にしていた

とみられるそうです。
(浄興寺資料『御臺所(だいどころ)日記』)

高田の寺町の寺院郡は全国でも類を見ない
規模だと思いますので、お寺巡りが
好きな方はわくわくするのではないかと
思います。

合掌